憧れの関係性について

一日中「7days to end with you」という短編のゲームの余韻に浸っていた。

タイトルの通りキミとボクが終わりに向けて7日間を過ごす話であり、言葉と記憶を失った「ボク」が何やら面倒を見てくれる「キミ」と会話や家事をしながら少しづつ言葉を覚えて、この謎の生活の真実に気づいていく…というあらすじになっている。

このゲームに入れ込んでいるのには理由がある。

実は私はずっと「キミとボクと終わり/死」という関係性に強い憧れを抱いているのだ。

この感情はおそらく高校生のときに読んだ「半分の月がのぼる空」や「イリヤの空、UFOの夏」に起因しているのだが、31歳になった今でも全く変わらない(この2冊は毎年しかるべき季節に読み直しており、昔と同じように心を揺さぶられている)。

好きになる小説や歌詞の傾向もそうだ。

周囲の力学を無視してお互いの存在だけを強烈にぶつけあった末に生み出される二人だけの世界や結論を綴る物語や歌詞を好んでいる。だから好きになるかどうかも、決して内容への共感といった評価軸はなく、世界が生み出されるまでの熱量や創造した世界での二人の結論に対して自分の心の火がとれだけ燃やされたのかどうかで決まる。

たとえばヨルシカのアルバム「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」は考察も無粋なほどn-buna氏の中で思う最高の「キミとボクと終わり/死」を表現しきった2枚として私の心に強く残っているから、今も夜の近所を散歩しながら通して聴いてうっとりしていたりする。

「7days to end with you」に戻ろう。

私はこのゲームの中で「キミとボクと終わり/死」の世界の「ボク」としてこの世界を追体験した。実は本を読んでばかりでゲームで「ボク」をやるのは初めてだったりした。少し緊張していたのだが、プレイが進むたびにどんどん没入していった。

  • 「ボク」が言葉を理解してコミュニケーションがとれると「キミ」は笑った。
  • 「ボク」の■を理解すると「キミ」は気丈にふるまい優しくなった。
  • 「ボク」■「キミ」の■を■■■■というと「キミ」は涙を流した。

といったやりとりを続けるうちに「キミ」の魅力にどんどん惹かれていく自分がいた。なんとなく影のある「キミ」をなんとか支えてあげたい。救ってあげたい。なのに肝心な時に全く上手く言葉が伝わらず、じれったさに本気で頭を抱えた。

何度も物語をやり直した。

何度も試行錯誤を重ねて、ようやく全てを理解したとき確かにそこには美しく暖かい「キミとボクと終わり/死」がありました。私はこれで良かったと思う。「キミ」にもそうであって欲しい。

とてもいい作品でした。興味のある方はぜひ、プレイしてほしい。

 

ところで今日の玉の間半荘は2着3着3着だった。

麻雀を「ボクとキミとキミとキミとラス」と定義すれば少しは素敵な物語が見れるのではないかと思って、心を込めた打牌し、山や手配を読み、スタンプを送ったりしてみたが、最終的には全ての局でキミがキミから搾取していた…。

ようやく全てを理解したとき確かにそこには美しく暖かい「キミとラス」がありました。私はこれで良かったと思う。「キミ」は良くないだろうけど。

なんともいえないゲームでした。興味のある方はぜひ、プレイしてほしい。