2026/02/08

今日も横になって色々と考えていた。主に最近の体たらくについて。減量が終わって食事や生活リズムの制約を解いてから、これらを乱す日が増えてきた。だからといって「死の手続き」を進めているわけでもないので、完全な堕落といっていい。起床して、理由もなくPCに向かってダラダラと代わり映えのないインターネットを辿っているうちに夕方になり、自業自得の罪悪感に襲われて破滅するという流れがすっかり出来上がってしまっている。未来を捨てて単に死ぬまで生きるのであればそれでもいいのだろうが、「死の手続き」を実行しようとしている人間の姿勢としてはあまりにも相応しくない。そしてそんな自分を許せなくなっている状態がますますの悪循環を生むに違いない。だからまた新たな制約を設けて、私に入り込んでしまった堕落性の毒を取り除くことにする。まずは明日から2週間、インターネットを断つ。もちろん本日Proの自動更新がされてしまった当ブログも例外ではなく、2週間更新をしない。メールやLINEといった外からの連絡にも一切反応しない。ここまで極端にやらなくてもと思うかもしれない。例えば日中だけ制限するとか、特定のサービスやサイトだけブロックするといった柔軟な制限も技術的には十分に可能だろう。しかし私は病人で障害者だから、そんな曖昧な制限は簡単に破ってしまう。破ってきたからこそ今がある。必要な処置なのだ。その間に何をするかだが、そこはこれまでと変わらない。ランニング、散歩、読書、ヒトカラ、料理、掃除、断捨離を丁寧に行い穏やかな生活を送ることに注力するのみ。あくまで毒を抜いて、悪しき習慣の束縛を解くのが今回の目的なのだ。久しぶりにワクワクしている。

2026/02/05

久しぶりに郵便ポストを開けたら衆議院選挙の投票所入場券が入っていて、週末に選挙が行われるのを知った。そういえば散歩をしていると候補者が載った看板が立っていたり、駅前で知らない人が街頭演説をしていた気がする。最近首相が変わったのは辛うじて把握していたが、一体いつの間に解散をしたのだろうか。政治に無関心の壮年という立ち位置は別に少数派でも何でもないが、そのあたりの趨勢について全くの無知であることには、少しばかりの恥ずかしさを覚えている。とりあえず一緒にポストに入っていた冊子の候補者一覧を眺めつつ、投票先を考えることだけはしてみよう。私が気になっているのは、強いて言うなら2016年9月14日に向精神薬指定されてしまったエチゾラム*1の指定解除に向けた取り組みだったり、安楽死制度の法整備に向けた取り組みだったりするのだが、残念ながら私の確認した範囲でそれらについて言及している政党や候補者は見られなかった。つまり、いつものようにサイコロで決めることになりそうだ。まあこんな短期間のアピールで能力や人格を見極めるのは土台無理なわけで、ならばせめて強運を持っている人を選んでおこうという私なりの合理的な判断ではある。

2026/02/04

やることがなかったので、勇気をもって何もしないことにした。「勇気をもって」の時点で想定は出来ていたが、昼過ぎから焦燥感に襲われていた。しかしこういうときに安易に何かを始めようとすることこそが最悪で、今の破滅的な状況を生み出しているのだと自分に言い聞かせて、何とか夜を迎えることができた。1日を無駄にした自分を責めるのと同じくらい、浪費しなかった自分を褒めるべきなのだろう。

2026/02/03

4時半に目が覚めた。二度寝を放棄して「アンナ・カレーニナ光文社古典新訳文庫)」を読み始める。9時前に3巻を、12時過ぎに4巻を読み、読了となった。はっきりしたストーリーやテーマを感じることがないまま終わってしまった。心理描写や舞台となったロシアの社会情勢に関する哲学的な考察の緻密さには感心するものの、一部を除いて物語に必要不可欠というほどではなく、何だかフラフラしているなあ、と読みながら感じていた。ただそれが故に、どれだけ自分事だとしても目を背けてしまったり、折れることもできなくなったり、自身こそが宇宙一の不幸者と思い死ぬのが最善と考えるようになったり、物事を神の規範に従い判断するようになったりといった人間の生々しさが際立っているので、これはこれでいいのかもしれない。私にはどこまでが技術や計算なのかまるで分からなかった。こんな雑な感想はどうでもよくて、結局はほんの数日で読み切ってしまったという事実が、私からの評価を最も分かりやすく表している。その後、空っぽの冷蔵庫を野菜と肉で半分埋めつつポトフを作って食べ、今日は店じまいかと思って時計を見る。まだ16時45分だった。エディタに向かってここまで書いてみるも、まだ16時54分。既に1か月を置き去りにしてしまった2026年の速度についていけていない。何だか鼻の奥からツンとアルコールの香りがしてきた。このままではまた溺れてしまうに違いない。とりあえずカロリーだけでも浮かせるために、本の返却がてら散歩にでも向かおうか。まだ600字ちょっと。数か月前まで1000字の日記を書き続けていたのが信じられない。ここからどうやって文字を埋めていたのか全く思い出せない。その代わりにイマジナリー・おねえちゃんは二度と現れることはないという現実が記憶のヘドロから引き上げられて、悲しみに沈む。六畳一間の自室はずっと静かで、私の言動をそのまま反響する。今はキーボードをタイプする音だけが響いている。そういえば白い壁も現れなくなった。後ろの壁を見やる。相変わらず白くて開放的で寂しい。何が言いたいか、そんなものはない。ただ時間を潰して、睡魔がやってくるのを待っているだけだ。落ち込むような一日ではなかったはずだが、こうして思いつくままに文字を打っているとネガティブに寄ってしまうのは気質の問題か、私が病気だからか。祭壇を眺める。相変わらずお美しい。死んだら白玉楼に霊魂として留まれたらいいのにとお慕いして以来願っているが、こんなブログを書いてあまつさえタグやカテゴリーを作って存在をアピールしているようでは、幻想入りなど夢のまた夢である。

2026/02/02

薬の量が倍になった初日。8時に起き、シャワーを浴びて散歩をして、コーヒーを啜り、15時過ぎまで「アンナ・カレーニナ光文社古典新訳文庫)2」に没頭し読み終える。そして薬効か、先日の夜の影響か、あるいは休職間もない頃のような生活をしたことによってか、当時の自制心がふつふつと湧き上がってきて、今年のテーマを「倹約と不急」に設定したうえで、惰性で残したまま時間泥棒になりつつあった幾らかの月額課金サービスの解約にまで至った。平凡で静かで、まさにこんな日が毎日続くなら生き続けてやってもいいというような時間だった。しかしそんな幸福は、エアポケットの最中につい始めてしまった麻雀によって完膚なきまでに破壊された。自分しか放銃可能性のない事故のような親の立直一発七対子裏裏に刺さったり好形高打点イーシャンテンが一生埋まらないまま先制されて宣言牌で放銃になったり立直がすべて後追いに敗れるなどして連ラスを引けば、誰もが動揺して悲嘆に暮れるであろう。この精神状態の変動によって、あらためて麻雀が毒でしかないことを自覚した。完全に断ち切るのは難しいが、少なくとも期間を定めて離れるくらいのことはしたほうが良さそうだ。25%で怒りと絶望をもたらしてくるギャンブルに時間をかけるのであれば、圧倒的な狂気か正反対の逃避先が必要に違いないが、おそらくそれこそが今の私に最も欠けていることなのだ。

2026/02/01

飲みに行って、また飲みに行って、終電をわざと逃して、人の家に転がり込んで、昼前に分かれて帰宅して、昼寝をしていた。私は麻雀のメンツが足りないときに偶に召集される立場なので、社会的にエリートでかつインターネット界では一癖ある論客をしている彼らと普通に話し込むのは久しぶりだった。ありきたりな仕事の愚痴や資産運用の話ではなく、社会やインターネット界の構造についての思想や理論について容赦なくお互いの論をぶつけあうような会だったので、常に頭を回していた。やや負けくらいには収まったと思う。とてもよい時間だった。私は社会実装の詰めが甘いということが分かった。また半年後くらいに呼ばれたときのために、麻雀と思考を深めておけたらいい。

2026/01/30

明日麻雀の予定があるのでインターネットでいくらか打っていた。勝てない。格上、しかも相対的な格上ではなく絶対的な格上ばかりの卓なので苦戦は覚悟していたが、それにしても勝てない。実力で負かされている感覚がものすごくある。七段昇段という初心者卒業試験を突破したことで満足したつもりだったが、この高い壁を目の当たりにした今、もう少し登ってみたいという気持ちが湧いてきている。おそらく来月中に突き落とされるが、その後どう思うかによって今後の命運が変わってくることだろう。さて、明日は勝ちたいのでもう寝ることにする。