心療内科の受診を終えて、いま帰宅したところだ。
例によってカウンセラーと主治医にここ1ヶ月の行動や思想を伝えたわけだが、今回はそのまま終わりというわけにはいかなかった。この1年、私は失恋による人生の意義の喪失からくる鬱によって心身を病み病院に駆け込み、カウンセラーや主治医と壁打ちをしながら過去を掘り下げたり知能検査を受けたりしてその根幹が発達障害にあると見立てて投薬治療を進めていた。そして効いているのか効いていないのかよく分からない中で着々と生活を整えることで、こうなるに至った根本的な部分の改善には至らないものの、表面上は穏やかに過ごしてきた。しかし今日私が話したここ1ヶ月の異常ともいえるテンションの奔流のエピソードによって、過去と今が繋がり、根本的な問題を理解したらしい。主治医はこれまでの1年の治療の方向性が間違っていたことを丁寧に詫びつつ、私を「双極性障害Ⅰ型」と診断した。
驚きはなかった。ここ1年だけでも早朝から日付が変わるまで作業し続ける生活を何週間も続けたり、ボーナスの範囲内という言い訳をしてニートの分際で4万円のカバンと2万円のカバンをサクッと買ったり、朝起きた瞬間にドロリとした頭の重さを感じて日中強烈な眠気に襲われ寝ても寝ても寝ても寝足りなくなったり、勢いで申し込み諸々50万円かけて用意した海外旅行を直前の憂鬱でドタキャンしたり、薬代が高いという理由で発狂して全てを終わらせようと本を捨て本棚を解体しPCモニターやらスチールラックやらを業者に5万円払って回収させたりしているし、それ以前にも大学中退のような大きな失敗から小さな失敗まで似たようなことを繰り返してきたわけで、納得せざるを得ない。むしろこのタイミングで生きる価値のない人格ゴミのような人生の要因が病だと判明したことは、残り50年弱の孤独と倦怠をどう過ごすかちょうど考え始めていた私にとって朗報でしかない。
主治医はなぜここまで分からなかったかも説明してくれた。通常、鬱に陥ると思考や行動が止まることが多く、その落差によって判断がつきやすいのだが、私は鬱のときにも思考だけは止まらず診察時にも顕著な様子の変化なしに常に客観的かつ冷静に自己を分析していたため、躁鬱的なテンションの上下よりも、発達障害の主症状のように見えてしまったとのことだった。月1回のカウンセリングと診察に向けて、毎回長大なカンペを用意していたのが裏目に出てしまったか。さらにいうと、鬱のときに思考が止まらないのは特に悪質なケースであり、私の言語性IQの高さを考えると、死ななかったのが不思議なくらいだそうだ。実際に休職期間が終わったら死ぬつもりだったので、その見立てはまったく間違っていない。その後も何度も謝られたが、まったく怒りはなかった。むしろ惑わせてすみませんでしたと返したら、それについてはピシャリと怒られた。いい医者だと思った。これからもよろしくお願いしますということで、薬を一新することにして、ついでに自立支援医療制度の申し込みを行い、LAIという注射型の治療に関する資料をもらって、病院を後にした。
数日前に日報にて仄めかしていた大きめの計画の正体は「放送大学で自然科学を学ぶ」だったのだが、これはいったん待ってほしいといわれた。私も躁状態を自覚して応募する直前、高校に卒業証明書を申請したところで止めていたので、すんなり受け入れた。あと50年弱生きるなら焦る必要は全くない。代わりに言語の勉強ならしてていいよと言われたので、引き続き英語の勉強と、小説やレトリックの鑑賞をしていこうと思う。