2025/07/19

0時に寝て、8時半に目が覚めた。シャワーを浴びて、コンビニでラージサイズのアイスコーヒーと朝食を買って、飲み食いをして「ロリータ/ウラジーミル・ナボコフ」を読み始めた。背伸びして買った本だ。とはいえここ2ヶ月の読書によって耐性は相応に身に着いたし、何より無限の時間があるので、昔のように投げ出すことはあるまい。それにあと2冊だ。途中で納豆パスタを作って食べた以外、じっくりと本に向き合った。17時半にウォーキングに出発した。今日は「快盗天使ツインエンジェル THE BEST ANGEL」を聴きながら歩いていた。スロットの快盗天使ツインエンジェル2を少し打っていた時期があって、その名残である。さすがにCVに明記されている元彼女の名前を目にしたり、歌声を聴いたりしても、昨年のような感情の揺らぎはなくなっていた。なんとなく感傷的な気分になり、さらに先ほどまで読んでいた本が内面の詳細な告白という特徴を持っていたせいか、昨晩のハエトリグモとのやり取りを思い返すことになった。まず23時過ぎに横になろうとしたとき、枕元に普段クローゼットを根城にしているらしい小柄な方の個体がいるのに気付いた。うっかり潰してはなるまいと、指を近づけてマットレスから離れるように促したところ、彼/彼女は自身の身体の5倍以上にもなる距離を何度も跳躍して、部屋の隅まで退避してくれたのだった。そのときは特に何も思うことなくすぐに明かりを消しただけだったが、彼/彼女に消費させたエネルギーの量を考えると、もう少しやりようがあったのかもしれない、と今になって思う。例えば、その前に手で潰していた無名の羽虫の死骸でも渡してやるとか。彼/彼女の誇りを踏みにじらないよう餌付けや献上にならない範囲でスマートに対応したいものだが、こう考えること自体がすでに傲慢であるから、やはり私はこれからも昨晩と同じ対応をとることになるだろう。そしてこれは以前から疑問に思っていたことでもあるが、いったん立ち返って考えたのちに同じ対応をとり続けるのと、最初から最後まで無意識に同じ対応を取り続けるのとでは、どちらがより自身の本質と言えるのだろうか。ちょうど来週心療内科の受診があって、過去を含めた自己肯定感の回復を目的としたカウンセリングをするようなので、聞いてみることにしたい。挫折によって人生についてきちんと考えるようになったものの落ちぶれ続けている今の自分と、挫折するまで意志という意志を持たないまま適当に生きてはいたがまあまあ上手くいっていた過去の自分の、いったいどちらを信じればいいのでしょうか。それともやはり、いいとこどりをするといった新たな演技が必要になるのでしょうか。……というようなことを考えていた。10951歩、7.15kmだった。