今日は昼までたっぷり寝て、段位戦は232でラスも引かず、今もM-1の敗者復活をのんびり見ている。Aはカベポスター、Bは滝音と家族チャーハン、Cはシシガシラが好きだった。正直AとCはどこが勝っても別にかまわないけど、Bのマユリカはどうだったのかなと。阪本の表情も手ごたえ無さそうだったし。金魚番長、マユリカ、インディアンスどこも元々好みではないのでそう思ってしまっただけかもしれない。マユリカかあ。私の見る目がなかったということで、決勝は頭を空っぽにして楽しもうと思う。それにしても昨日の忘年会は楽しかった。気心のしれた相手と話すのはやっぱり格別だ。店の料理も美味く、コースだったが満場一致で延長するほどに会話も弾んだ。記憶のない中で主催してしまったが、こればかりはグッドジョブである。明日からは真面目に仕事をしなければならないが、そのことについてじっと考えた結果、「しなければならない」から「しようか」に脳がシフトしている。かつてない強度でスイッチが切り替わっているのを感じる。ただし競争の世界に身を投じたいというわけではなく、長らく放棄していた最低限の義務だけはこなそうか、という気持ち。意識的に堕落するのが気持ちよくていままで続けてきたけど、もはや堕落する余地がなくなってきたので、快楽が薄れているのも大きい。再び気持ちよく堕落するためにも、また浮上したいのだ。このような青臭い決意を書くのはとても恥ずかしく、まだ性癖について語っていた方がマシだとすら思うが、もう充分に恥はかいてきたし、それを書くための日報なので、震える指を必死に動かしてタイピングしている。今年は辛い別れもあって、死が現実的になりつつあったけど、昨日のようなイベントがあるのなら、あと何年かは「普通」を目指してみてもいい。人口ピラミッドを鑑みると、まだ自分の中に龍が眠っていると信じてもいい年齢だ。よい死に方をするために、自分の心身を鍛える。世間的に大成するかではなく、自分の中で納得できる文章を書けるようになって、自分なりの死の理屈を構築したい。明日からはより平凡な日常に変わっていく。次に目が覚めた時には別人になっている。イマジナリー・おねえちゃんも驚くことだろう。働いて、生活をして、考えて、書いて、二人になったり一人になったりして、諸々を決意をして、煩雑な手続きを経て、死ぬ直前にこっそり呟きたい。「本日も桜が綺麗」と。